灰羽連盟 SS
どこまでもいける翼とともに(体験版)

「馬鹿野郎っ!! 時計屋が遅刻してどーすんだっ!!」
 町の中心にある時計塔。その塔の中に、今日も朝から親方の怒声が響きわたる。
「悪かったって……。今日は来る途中で自転車がパンクしてさぁ。仕方ないじゃん」
 そう言ったのは灰羽のカナ。この時計塔で働いている、ただ一人の灰羽だった。
「まったく……言い訳ばっかり一人前になりやがって」
「事実なんだからしょーがないじゃん」
 カナは文句を言いつつも、仕事の準備に取りかかった。いざ仕事となればその動きは正確、かつ、速い。
「おい、パンクした自転車はどうした?」
 仕事場に向かおうとするカナに、ふと親方が尋ねた。
「店の裏においてあるよ。帰りは歩きかなぁ……」
「だったら、昼休みに自転車屋行って直してもらってこい。明日からも遅刻されちゃたまらん」
「自転車屋なんか、この近くにあったっけ?」
「東通りの奥の方に、一軒、古い店がある。そこならお前らでもなんとかなるだろう」
 つまり、灰羽が行くことのできる、古い店だ、ということらしい。
「ふーん。分かった、じゃ、行ってみるよ」
「分かったらさっさと仕事しろ。無駄口叩いてる暇はねーぞ!」

「え〜っと、東通り奥っていうとこの辺だと思うんだけど……」
 昼休み、カナは、パンクした自転車を押しながら、ゆっくりと通りを歩いていた。空気の抜けた前輪から、路面のデコボコに合わせてガクッ、ガクッ、と振動が直接手に伝わってくる。
「お、あったあった。でも、これ、本当にやってるのか?」
 ガラス張りの引き戸の向こうには、確かに何台もの自転車が見える。だが、店内は薄暗く、店主も、客の姿もそこにはない。
 それでもカナは臆することなくその扉を開けた。灰羽の行く先の店はこういうところが多いから、気にしてたらやってられない。チリンチリン、と鈴の音が響く。
「すいませーん、自転車直してほしいんだけど」
「あいよ〜」
 やや間延びした声とともに、店の奥から店主とおぼしき男が姿を現した。三十代半ばといった感じだろうか。ひょろっとした背の高い男で、ぼろぼろのツナギに汚れたキャップ、そして真っ黒になった軍手、という出で立ちをしている。
「おや、灰羽とは珍しい。どうしました?」
「いや、この自転車なんだけどさ、前輪、パンクしちゃって」
 そう言うと、店主はかがみ込んで、前輪を見た。空気が抜けたタイヤは、ぺにょっと地面にへばりつくようにしている。
「あー、こりゃひどい」
「だろ? 何とかなる?」
「よく見てみないとわからないなぁ。……少し時間もらえますか?」
「えーっと、アタシも仕事あるからなぁ。じゃ、仕事終わったら取りにくるってので、いい?」
「ええ、いいですよ。ちなみに仕事場は?」
「街の真ん中の時計塔。アタシはカナ、って言うんだ」
「わかりました。……ちゃんと取りに来てくださいよ」
 店主は、少し困ったような顔で、そう言った。きっと、そう言って引き取りに来なかった客がいたのだろう。
「わかってるって。それ無いと困るのはアタシらだし。それに」
「それに?」
「古くなった物を使い続けるのが灰羽の務めだしな」

 その日の夕方、仕事を終えたカナは、昼間の自転車屋へと急いだ。店にはあいかわらず人気がない。夕暮れ時の薄闇のせいか、昼間よりもさびれて見える。
「こんちわー。自転車、直ってる?」
 ドアを開けながら、元気よくカナは言った。
「あれ?」
 目の前にいたのは、見たことのない女性だった。歳の頃は三十ほどだろうか。ずいぶんと小柄な人だ。
「えーっと、店主のおっさん、知らない?」
「あぁ、昼間、自転車置いてった灰羽、ってあなたね。あんたー、昼間の灰羽さんが来てるよーっ!」
 女性は、大声で店の奥にいるらしい店主を呼んだ。どうやら、店主の奥さんらしい。
「ああ。今行く」
 店の奥から声がかかる。程なくして、昼間の店主が、カナの自転車を押して、奥から出てきた。
「どう? ちゃんと直ってる?」
「ええ、これぐらいしょっちゅうあることですから」
 そう言って、自転車をカナの目の前に止める。戻ってきた自転車は、確かに前輪にしっかりと空気が入り、その車体を支えていた。
「これ、パンクした時どこかにぶつけませんでした?」
 店主が修理した前輪を見ながら、言った。
「えっと、確か、橋に乗るところで、手前の地面がえぐれててさ。橋の石畳の角に、こう、ガンッとぶつかってさ。そしたら空気抜けた」
 カナは指で空中に角になった石を描きながら、そう説明した。
「あぁ、やっぱ噛み跡があったからね」
「噛み跡?」
「スネークバイト、っていってね。角に勢いよくぶつけると、蛇に噛まれたような穴が開くんですよ」
「へーっ」
「だから、そう言うぶつけ方をしないよう注意して乗ってくださいね。あと、空気を常にいっぱいにしておいてください。空気が入ってないと、パンクしやすいんです。後輪もだいぶ空気が減ってましたよ」
「そうなんだ。今度から気をつけるよ」
「今回は、もうチューブがだいぶ痛んでたんで、チューブごと交換しました。なので、お代は工賃とチューブ代ですね」
「わかった」
 カナは、バッグから灰羽手帳を取り出し、そこに自分の名前と日付、それから「自転車修理」と書いて、その1枚を店主に渡した。
「はい、どうも。……これを見るのも久しぶりだなぁ」
「灰羽はあまり来ないんだ?」
「そうですね。まぁ、こんな分かりにくい場所にありますし」
 カナは自転車を受け取りながらそう言った。
「よっと」
 スタンドを蹴り上げ、サドルに座る。そしてペダルを漕ぎだしたとき、その違いに気づいた。
「あれ?なんかすごく軽い?」
「あぁ、チェーンの油切れてたんで、注油しておきましたから。あと、空気もいっぱいに入れてありますからね。走りやすいでしょう?」
「うんうん。すごい! 前なんか漕ぎ出すのに力一杯ペダル踏まなきゃならなかったのに」
「タイヤの空気もそうですけど、チェーンもこまめに注油すると、ずいぶん走りやすくなりまキよ」
「そうみたいだね。今度から気をつけるよ」
「自転車ってのはね、日頃から丁寧に使っていれば、すごく長持ちするんですよ。タイヤやチェーン、ブレーキ、軸受けみたいに回ったりするところはどうしてもすり減るから寿命があるけど、それさえ交換してやればずっと走れるんです。私の仕事用の自転車なんて、もう二十年目だけど、いまだに現役ですから」
「二十年!?」
 グリの街に生まれて数年しか経っていないカナにとっては、それは無限に長い時間に思えた。
「この人が見習いの時から使ってるんですよ。今のあなたと同じぐらいの年の頃だったかしらね」
 奥さんがそう言葉を付け足す。
「なにより、自転車に乗る人がその自転車を好きでいてくれれば、きっと、長い友達でいてくれるはずです、その自転車は」
 店主は、そう締めくくった。

 カナがオールドホームに着く頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。オールドホームの門をくぐり、名札の手前で自転車を降り、札をひっくり返して自分が帰って来ていることを知らせる。
「ただいま〜」
 カナは上機嫌でいつもの通り、ゲストルームに顔を出した。
「あ、カナ。おかえり〜」
 出迎えたのはヒカリ。そして、年少組の子供たち。
「ん? どうしたの、そいつら」
 子供たちはなにやらヒカリにまとわりついて、何かをせびっているようだった。
 そのうちの一人が、今度はカナの方に寄ってきて、
「ねえねえ、カナ。カナなら自転車、なおせる?」
 そう尋ねた。
「自転車?」

 その自転車は、オールドホームの入り口の脇に置かれていた。入ってくる時には暗くて気づかなかった。
「どうしたの、このオンボロ」
 後ろにいるヒカリに尋ねながら、カナは懐中電灯を点け、その自転車の前にしゃがみ込んだ。
 カナが言った通り、それは「オンボロ」というのにふさわしい外見だった。タイヤはペちゃんこになり、スポークが何本か折れていた。
 椅子は表面が破れ、中身が飛び出ていた。チェーンはギアから外れ、だらんとぶら下がっている。そのチェーンもギアも錆だらけだ。よく見れば、フレームそのものもあちこち傷つき、錆が浮いている。
「子供たちが拾ってきたのよ」
 ヒカリは、困った顔でそう答えた。
「ね、ね。ボクこういう自転車、欲しかったんだ」
 主犯格らしい、さっきカナに尋ねた子供が、そう言った。まっすぐなハンドル、三角形を二つくっつけて菱形にしたフレーム、デコボコの付いた太いタイヤ。カナが乗ってきた自転車とは明らかに違う。マウンテンバイク、と呼ばれるタイプの自転車だ。
「あのなぁ……うちは粗大ゴミ回収業者じゃないんだぞ」
 ため息をつきながら、カナは答えた。
「直らないの?」
「こんなの、無理に決まってるだろう。だいたい、なんであたしなら直せると思ったんだ?」
「だって、ヒカリが、『カナなら直せるかも』って言ったんだもん」
 子供は正直だ。ヒカリが慌てて、勢いよく首を横に振る。……ヒカリも正直だ。
「なんでそんな事言ったんだよ」
「だって、ほら……。カナなら機械とか、詳しそうじゃない。ほら、時計も自転車も、歯車ついてるし」
「無茶苦茶言うなよ……」
 さらに盛大にため息をつくカナ。
「ねぇ、本当に直らないの? カナ姉?」
 さっきの子供がしつこくせびってくる。よほどこの自転車に興味があるのだろうか。
「とりあえず今日はもう暗いし、明日もう一回見てみるよ。それでいいだろ?」
 子供がまとわりつくのを鬱陶しがったカナは、投げやりにそう言った。
「うん! 約束だよ!」
 そんなカナの気も知らずはしゃぐ子供たち。
「よーし、ほら、みんな戻るぞ。もうすぐ晩ごはんだしな」
 カナが立ち上がって手をたたく。子供たちは一斉に「ごはんだー、ごはんー」と言いながら、ゲストルームに向かって走り出した。
「やれやれ、調子いいんだから……」
 そんな子供たちを見て苦笑するカナ。
「さ、あたしたちも戻りましょ。晩ごはん子供たちに全部食べられちゃうわよ」
「おっと、そいつはいけねぇ」
 カナもその言葉を聞いて走り出す。
「……どっちが子供なのかしら」
 今度はヒカリが苦笑する番だった。

 次の朝。朝食を食べ終えた途端、カナは子供たちにまとわりつかれる事となった。
「まったく、せっかくの日曜日だってのに、こんな朝っぱらから……」
 歩きながら生あくびをするカナの手を子供たちが引っ張る。
「仕事が休みなのも善し悪しね」
 すぐ後ろをついてきたヒカリが笑いながら言った。
 子供たちに連れてこられたのは昨日、自転車が置いてあった場所。そこには、昨晩と同じ姿のまま、自転車だったものが横たわっていた。
「ね、どう? 直せる? カナ姉」
 カナは何も言わず、倒れている自転車のハンドルを取り、引き起こした。車体に付いた土がぽろぽろと落ちる。
「あたしには無理だよ」
 カナはきっぱりとそう言った。
「なんでさー!?」
「もし直そうとしたら、多分いくつかの部品は交換しなきゃならない。だけど、あたしはそんな物持ってないから」
「そんな〜」
 どう言われても事実は事実だ。ここで変な期待を持たせても、あとで子供たちをかえって傷つけることになりかねない。
「じゃぁ、自転車屋さんに見てもらったらどう?」
「ヒカリっ!」
 ヒカリの、たぶんあまり考えていないであろう発言に振り向くカナ。
「そうだよ、ね、カナ姉」
 落ち込みかけてた子供たちがまたはしゃぎだす。
「だからそれはあえて言わなかったのに……」
 カナは半分あきらめた様子でヒカリをにらんだ睨みつけた。
「だって、昨日、カナが自転車屋さんにパンク直してもらったって聞いたから……」
「ね、行こうよ、その自転車屋」
 昨日、この自転車に乗りたいと言った少年──確か、ジローと言ったか──が、自転車を挟んでカナの反対側からハンドルを取った。カナが握ってるところより、少し内側に手をかけたのを見て、カナは手を離した。
「わっ! 急に離さないでよ」
「お前、持ってるんだから大丈夫だろ。そのまま付いてきな」
「どこへ行くの?」
「自転車屋。とりあえず見てもらうだけ見てもらおう。直せるかどうかは分からないけど」
「うん!」
「やれやれ。子供のお守りはあたしの仕事じゃないっつーのに……」
「行ってらっしゃい」
 ヒカリが手を振っている。この借りはいずれしっかり返してもらわないと。

- to be continued -

 この続きは、コミックマーケット66にて頒布予定の同人誌 「どこまでもいける翼とともに」にて掲載します。


 感想などありましたら、 掲示板 か メールでお願いします。
 また、下記のフォームでも送れます。
 お名前:
 E-Mail: ※必須ではありませんが、書いていただければ必ずお返事します。
 URL: ※Webサイトをお持ちでしたら教えてください。
 気に入った点があれば教えてください: 登場人物 ストーリー 文体 セリフ 設定 その他
 コメントがあればお書きください。厳しいご意見も大歓迎です。
  
 コメントをWebで公開したくない場合はチェックしてください

文月の本棚: ガンパレ シュガー 灰羽連盟 マリみて アカイイト・アオイシロ アイドルマスター その他 オリジナル
表紙 PC 小説 不定記 伝言板 Gift リンク about