マリア様がみてる SS
テーブル・エンド・エンジェル

 ある日の放課後。乃梨子はいつものとおり薔薇の館にやってきた。2階に上がり、ビスケットのような扉をガチャリと開ける。
「あれ?」
 会議室の中には誰もいなかった。
「ま、確かに今日は会議やるとは聞いてなかったけどね……」
 たとえ会議がなくても大抵誰かはいるのだが。
「ま、いっか。一人のほうがやりやすいし」
 乃梨子は荷物を置くと、流しの方に向かった。
「今日は……アッサムでやってみようかな」
 電気ポットに水を入れ、お湯が沸くのを待つ。その間に、ティーポットやティーカップ、そして、お目当ての紅茶を用意する。
 乃梨子が今ひそかにはまっているのが、この、「紅茶を淹れること」だった。
 志摩子の妹になり、正式に山百合会のメンバーに加わることになった乃梨子。新入生である乃梨子は当然、いわゆる「下っ端」なわけで。上級生がお茶を淹れてるのを見て、自分がやる、と言ったまではよかったのだが。
「なにこれ……?」
 紅茶といえば、缶やペットボトルに入ったもの、自分で淹れるとしてもティーバッグでしか淹れたことのなかった乃梨子にとって、リーフティーなんてのは未知の飲み物だったのである。
 別に紅茶を淹れられないと山百合会のメンバーでいられない、なんてことは無いのだが。負けず嫌いの性格がゆえ、こうして暇さえあれば「特訓」を続けているのである。
 乃梨子が紅茶にこだわったのはもう一つ理由があった。
 いつだったか、祐巳さまが紅茶を淹れたとき。それまで難しい顔をしていた紅薔薇さま──祥子さま──が、その紅茶を飲んだとたんに、すごく優しい顔になったのだ。単に祐巳さまが淹れたからだろう──そう思ってたのだが、乃梨子も飲んだその紅茶は、本当においしかったのだ。
 私も──私の淹れた紅茶で、お姉さまにあんな顔をさせてみたい!
 というのが、現在の乃梨子の野望だったりするわけである。

「それにしても……紅茶って結構奥深いのね〜」
 ここ薔薇の館には、誰が持ってきたのか、何種類もの紅茶が用意してあった。
「葉っぱの種類は多いし。で、その葉っぱによって蒸らす時間とか違ったりするし」
 電気ポットはちょっと古くて、お湯を沸かすのに少し時間がかかる。お湯が沸くのを待つ間、乃梨子は紅茶セットの入った棚を見回していた。ふと、紅茶を飲んだときのそれぞれの顔を思い出してみる。
「一番うるさいのは……紅薔薇さまか」
 もちろん、うるさいのは味について。紅茶の味で機嫌が良くなったり悪くなったりするのだから、淹れる方は大変である。
 ちなみに、紅薔薇さまが入れた紅茶を乃梨子は飲んだことがなかった。というより、流しに立っている姿を見たことがない気がする。
「ま、女王様だしなぁ……」
 女王様。それが紅薔薇さまに対する乃梨子の素直な感想であった。
「淹れるのがうまいのは……やっぱ黄薔薇さまかな」
 最初の出会いが出会いだけに、あまりいい印象は持っていなかったのだが、山百合会に入ってわずか数日でその第一印象は崩れることになった。
「あの容姿でお茶とかお菓子とか作っちゃうんだもんなぁ……」
 鮮やか手並みでお茶を淹れる様子を思い出す。クラスメイトの黄薔薇さまファンが見たらどう思うだろうか。
「でも、お菓子との組み合わせまで考えてお茶淹れるんだもん、すごいよなぁ……」
 それだけでなく、全員の好みまで覚えてて淹れてくれるのだから、やっぱりすごい。今すぐ喫茶店でも開けるのではないだろうか。
「で、それをほんとにおいしそうに飲むのが由乃さま、っと……」
 黄薔薇さまと由乃さまは、何でも従姉妹で、家も隣同士らしい。きっと、何度も黄薔薇さまの紅茶は飲んでるだろうに。
「ま、仲良きことは美しきかな」
 由乃さまの淹れた紅茶は、黄薔薇さまほどではないけど、結構おいしかった。
「って、私もずいぶんうるさくなったなぁ……」
 紅茶の味をどうこう言うなんて、数ヶ月前までは考えられなかったことだ。
「それから、祐巳さまね……」
 祐巳さまの紅茶。この人のが一番よく分からない。なにしろ、おいしいときとそうでないときの差が激しいのだ。まるで祐巳さま自身の表情のように。
 それと、もう一つわからないのは。
「あんなに砂糖入れて、太らないのかしら……」
 という、切実なものだった。甘党ではない乃梨子からみれば、祐巳の砂糖の量は多すぎる。
「ダイエットしてるとかいう話も聞いたことないしなぁ……」
 運動部に入ってるわけでもないし。体質なのだろうか。
 もっとも、乃梨子だって太ってるわけではないのだが。それでも気になるのが乙女心というやつなのである。
 ……ちょっと違う気もするが。
 そして。
「お姉さまの紅茶は……あっ、お湯沸いてるじゃん!」
 いけないいけない。考え事をしていたらいつのまにかお湯が沸いていた。
「えっと、先にティーポットとカップを温めて……」
 空っぽのティーポットに、沸いたばかりのお湯を注ぐ。そして、そのお湯を今度はカップに。そして、茶葉の入った缶を取り出し、ふたを開けた。紅茶の持つ独特の香りが、缶から立ち上る。
「お姉さまの紅茶か……」
 今でも忘れられない。志摩子が乃梨子のために入れてくれた紅茶。華やかな、それでいて落ちついた香りと、ルビーのような透明な紅。そしてやわらかな味。まるでお姉さまそのもののような。紅茶をおいしいと思ったのは、あのときが初めてだった。
「あんな紅茶を淹れられたらなぁ……あぁっ!!」
 しまった。考え事をしてたせいで、つい、茶葉を多く入れすぎてしまった。
「人数分プラス1、でよかったのになぁ……」
 それもお姉さまに聞いたこと。おいしい紅茶を淹れるには、葉っぱを、ティースプーンで人数分プラス1杯、入れるといいんだそうだ。でも、今日は。
「3杯も入れちゃったよ……」
 戻すわけにはいかないし、捨てるのももったいない。おいしい紅茶を淹れるのが目的だからこのままだと葉の量が多すぎてうまくいかないだろう。
「えーい、二人分飲んでやろうじゃないの!」
 そう決めるとあとは速い。ティーポットにお湯を注ぎ、ふたを閉め、ティーコジーをかぶせる。そして腕時計を覗き込む。今、11分ちょうど。
「ぁ、そうだ」
 ふと思い立って、乃梨子は戸棚からもう一つ、ティーカップを出した。こちらにもお湯を注いで温める。
「二人分だしね」
 あとは蒸らし終わるのを待つだけ。もう一度時計を見る。12分37秒、38秒、39秒……。
「お姉さまはどんなふうにしてたっけ……」
 どうして何かを待つ時間というのはこんなに長く感じるのだろう。たった3分なのに。3分……3分? 何か、ひっかかる。
「あ、そういえば……」
 これは、葉っぱが大きいから、少し長めに蒸らすといいって言ってた気が……。
 今、13分45秒。あと15秒……だけど、少し、延ばしてみる。14分ちょうど。1秒、2秒……。
 きっかり3分30秒たったところで、乃梨子はティーポットに手を伸ばした。 「そして、丁寧に、だよね」  ゆっくりと、丁寧に。飲んでくれる人の笑顔を想いながら。ティーポットを持ち上げ、静かに円を描くように動かす。そして、静かにティーカップにそれを注いだ。
「うわぁ……」
 綺麗な色。漂ってくる香り。どれも、今までに淹れたものと比べても格段の出来だった。
 最後の一滴まで注ぐと、ティーカップをトレイに乗せて、会議室のテーブルまで運ぶ。ゆっくりとテーブルの端のあたりに乗せたとき、ガチャリと音を立てて、会議室のドアが開いた。
「あら、乃梨子、ごきげんよう」
「……お姉さま!! ご、ごきげんよう」
 カップを運び終えたあとで良かった。運んでる途中だったら、バランスを崩してたかもしれない。
「いい香りね。これ、乃梨子が淹れたの?」
「う、うん」
「もらっていい? ちょうど喉が渇いていたのよ」
「え、ええ! ぜひ!」
「ありがとう」
 そう言うと、志摩子はゆっくりとティーカップを口に近づけた。
「……なぁに? そんなに見つめられても……」
 いつのまにか乃梨子は志摩子の顔を凝視していたらしい。志摩子の反応をほんの少しでも見逃すまいと。
「あ、あの、ごめんなさい!」
 思わず体ごと後を振り向く。顔から火が出そうだ。お姉さまが、小さくくすっと笑った声が聞こえた。
 少しして、カツン、と、ティーカップを置く音が響いた。しまった、という顔つきで乃梨子は再び志摩子の方に向き直った。
 どうだっただろう。不味くはなかっただろうか。なにしろ、葉っぱの量間違えたわけだし……。
「どうしたの? そんなに怖い顔して」
「え、その……」
「おいしいわよ。乃梨子も飲んだら?」
「ほんとう?」
「ええ、とてもおいしいわ。すごくなめらかで、香りもいいし」
 そう言って、志摩子は微笑んだ。
 あぁ、お姉さまの笑顔。私はこの笑顔が見たかったんだ──。
「今日は乃梨子が百面相ね」
「えっ?」
「さっきから、怖い顔したり、赤くなったり、笑ったり」
 あぁっ。で、でも。お姉さまに目の前で紅茶飲んでもらえるときに冷静でなんていられるわけが──。
「でも、乃梨子の笑顔が見れて嬉しいわ」
「えっ……」
 言われて気がついた。きっと、「嬉しい」という言葉を顔面に貼りつかせてるに違いない。
「わ、私も! お姉さまの笑顔が見れて嬉しいんだから!」
「……まぁ」
 お姉さまはちょっとだけ頬を染めて。
「さ、お茶が冷めてしまわないうちに飲みましょ」
 そう言った。

 二人きりの小さなお茶会。目の前には大好きなお姉さまの笑顔。お姉さまの笑顔はマリア様のようで。だとしたらこの紅茶はマリア様を祝福する天使かな。テーブルの端の小さな天使──。

- fin -

あとがき


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