マリア様がみてる SS
お姉さまの悪戯

 ぱさ。
 夜の寝室に、ページをめくる音が小さく響いた。
 部屋を照らす灯りはベッドサイドの小さなランプだけ。江利子は、ベッドに寝転んだまま、その灯りの下で文庫本を読んでいた。小説を読むことは特に好きでも嫌いでもない江利子だが、こんな夜中に本を読んでいることは珍しい。
 しばらくして本を読み終えた江利子は、本をベッドサイドのテーブルに置くと、灯りを消した。
 すぐに寝るのかと思われたが、江利子はしばらく何事か考えているようだった。そして、
「ふふふ、そうね。面白いかも」
そう呟くと、ようやく眠りに落ちていった。
 さて、面白いのは本の内容でしょうか、それとも……?

「あ、そうそう。令に渡したいものがあったの」
「なんです? お姉さま」
 1月半ばの放課後の薔薇の館の2階。祥子は家の用事、志摩子も委員会で欠席になったため(由乃は手術後の定期検査で病院に行っている)、その日の会議はお流れになった。もちろん薔薇さま方は受験で大忙し……のはずだが。
 珍しく江利子さまが来ていた。令は会議の中止を知らせに来ただけだったのだが、久しぶりに自分のお姉さまと会えた嬉しさで、そのまま薔薇の館で雑談を続けていたのだ。祐巳ちゃんは気を利かせて出ていってくれたので、本当に久しぶりの、姉妹水入らずだった。
 で、ずいぶんと長話をしてしまい。そろそろ帰りましょうか、そう言おうとした時。江利子さまが「渡したいものがある」、そう言ったのだ。
(渡したいもの、って何だろう……)
 誕生日はずっと前だし、バレンタインにはまだ早いし。それでも、お姉さまがくださる物なら……油断はできない。何しろ、面白いこと、面白い物が大好きな江利子さまだ。以前にも、おそらくはみんなを困らせるのが目的で──普通、それを「嫌がらせ」と呼ぶ──、「香港土産」と言って怪しい物を配っていたことがあるのだ。
 ちなみに、令がもらったのは、令の好きな少女マンガ──の、中国語版だった。もちろん、読めるわけはない。しかも、内容は知っているものだし。とはいえ、捨てるに捨てられず、結局令の本棚で眠っている。
「ねえ、これ、読んでみてくれない?」
 そう言って、江利子さまが令の前に出したのは、一冊の文庫本だった。
(また本ですか!?)
 いつぞやの事を思い出していた真っ最中だったので、内心びくつきながらも、令はその本を受け取った。
 本はカラフルな表紙で、令もよく知っているキャラクターが描いてある。令の好きなシリーズものの小説だった。全寮制の女子校が舞台で、その中で個性的な登場人物たちがいろいろな出来事を通じて成長していく、ちょっとコメディタッチのお話だ。
 表紙は、その中の登場人物の二人が相合傘で手を握り合っている絵だった。1歳違いの幼なじみで、実の姉妹のように仲がいい。よく下の子が上の子を困らせていて、「まるで由乃みたい」だった。もちろん、令のお気に入りのキャラでもある。
「あれ?」
 だが、受け取って、すぐに違和感に気づいた。なにしろ、その小説のキャラクターだ、ということは分かったが、イラストのタッチがまるで違う。明らかに別人の描いた絵だった。本のタイトルも、自分の知らないものだ。新刊が出たという情報は無いし。
「あの、お姉さま、これは……」
「私の知り合いが書いたのよ。いわゆる、同人誌、ってやつね」
 なるほど、そういうことか。確か、アマチュアの描いたマンガとかのはず。最近は、本屋でも「同人誌アンソロジー」なんてのを時々見掛けるが、実物を目にしたのは始めてだった。
「令、そのシリーズ好きでしょ。その事を知った彼女が、是非、読んで、感想を聞かせてほしい、って」
「へー、アマチュアでこんな本、作れるんですね。すごいなぁ……」
 ぱらぱらとページをめくる。結構しっかりした文章のようだった。
「私もちょっと読んだけど、結構面白かったわよ」
「これって、あのシリーズを元にした話、なんですよね?」
「ええ。だから、同じファンの視点で、どう見えるのか、知りたいそうよ」
「分かりました。帰ったらさっそく読んでみますね」
 それから、二人は談笑しながら帰宅の途へとついたのだった。

 次の日の昼休み。カツカツカツと硬い足音を立てながら、黄薔薇のつぼみが足早に廊下を歩いていた。目指すは三年菊組の教室。その姿は凛々しく、下級生がほほを染めながら「ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ」と挨拶してくる。だが、今日の令に、その返事を返す余裕はなかった。
 三年菊組の教室の前で、一度深呼吸をしたところで、ちょうど中から生徒が出て来たので、令はその上級生に声をかけた。
「ごきげんよう。お姉さま──江利子さまはいらっしゃいますか?」
「あら、ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ。江利子さんなら……あ、いたいた。江利子さん、黄薔薇のつぼみが来てるわよ」
 取り次いでくれた生徒に礼を言うと、江利子さまは令の側にやってきた。
「お姉さま……今日の放課後、薔薇の館に来て頂けますか?」
「今日は会議は無かったはずだけど?」
「個人的に……お話したいことがありまして」
「いいわ。今日は予定は空けてあるから」
 空けてある、ということは、令がこういう行動をとることを予想していたことになる。つまりは、確信犯。
「ありがとうございます」
 令はそれだけ言うと、自分の教室へと戻っていった。

 そして、放課後の薔薇の館。
 令は2階の会議室に入って、江利子さまの姿を認めると、挨拶もせず、江利子さまの向かいの椅子に荷物を置いて、中から一冊の文庫本を取り出した。そして、
「お姉さま……なんなんですか、この本は」
バン! と叩き付けるように、昨日借りた本を江利子さまの前に置いた。
 江利子さまはいつも通り泰然と、椅子に腰掛けている。令の剣幕などどこ吹く風といった感じだ。
「あら、ちゃんと読んだんだ。どうだった?」
「そ、それは……」
 たちまち令の顔が赤くなる。
 その小説は、本編では脇役的な、表紙の二人を主人公にしたお話だった。ただ、その二人は、原作以上に仲が良かったのである。というか、良すぎた。ベッドの中で抱き合うくらいに──。
「おもいっきり18禁じゃないですか、これ!」
 端的に言うと、そういう事になる。
 確かに、原作にも思わせぶりなセリフや態度はあることにはある。だが、そこまで──肉体的に愛し合うというところまで──考えたことは令には無かった。
「なんでもね、それ書いた娘が、18歳になった記念に書いてみたんだって。初めてにしては結構良く書けてると思わない?」
「私はまだ17ですよ!」
 そういう問題ではない気もするが、頭に血が上った状態で、そこまで考えられるはずもなかった。
「私はもう18歳ですもの。……へぇ、令は17歳なのに、その本全部読んだんだ。イケナイ子ね」
 江利子さまの目が妖しく光ったように見えたのは気のせいだろうか。
「そ、それはお姉さまが読めというから……」
 こういう風に出られると、令は途端に弱腰になる。
「私は、最後まで読め、と言った覚えはないわよ。そもそも、読め、なんて命令はしてないわ。だから、読んだのは、全部、あなた自身の意志よ」
「それは……」
 すっと江利子さまが立ち上がり、令のそばに寄り添った。そして、その手が、抱きしめるようにそっと令の肩に添えられる。令は、自分の体がビクっと震えるのが分かった。
 江利子さまは少し背伸びをして、令の耳元に唇を近づけ、そっとささやいた。
「あの子……由乃ちゃんに似ていたわね」
「!!」
 ものすごい勢いで江利子さまの方を向くと、ちょうど目が合った。江利子さまの瞳は揺らぎもせず、ただ令のことを見つめている。その、奥を読むことのできない瞳にドキッとする。
 江利子さまはもう一度耳元に唇を寄せてきた。それこそ、触れるか触れないかと言う距離に。腕に江利子さまの胸のふくらみが押しつけられるのが感じられる。
「どう? 由乃ちゃんの事を想ってひとりでエッチなことしてたんじゃないの?」
「そ、そんな事、してません!」
 さらに顔を赤くして令は言った。確かにそんなことはしていない、が、小説の中のキャラクターを、ほんの少し──そう、ほんの少しだけなんだ──由乃と重ねあわせていたのは事実だった。
「恥ずかしがることは無いのよ。……自分に、正直になりなさい」
 江利子さまが話すたびに、吐息を耳に感じる。そのたびに体が震えそうになるのを令は必死で堪えた。
 どうして、お姉さまはこんな事をするのだろう。私がなにか悪いことをしたのだろうか。恥ずかしさと悔しさで涙が出そうになる。
 私が由乃のことを好きなのが気に入らないのだろうか。私はお姉さまのことをこんなに好きなのに。
 もう涙を堪えるのに耐えられなくなりそうになったその時。
 ふっと江利子さまが、令の体から身を離した。
「お、お姉さま?」
 顔を上げると、江利子さまはうつむいて、肩を震わせていた。
「あ、あの、お姉さま……」
「あーっっはっはははははははっ!! 最高!! 令、最っ高よ!!」
 ……爆笑していた。
「やだもう、泣きそうにならなくてもいいじゃない。うんうん。若いっていいわねぇ」
 笑いながらばんばんと令の背中を叩く。
 つまり……からかわれたらしい。
 よく考えれば、確かに、実にお姉さま的な行動ではあった。この人が何の見返りも無しに、本を貸してくれるなんて事があるわけがないのだ。もちろん見返りは、「面白いこと」。
 江利子さまに憧れている下級生が見たら、百年の恋も冷めそうな大爆笑の後、江利子さまはようやく顔を上げて言った。
「いやー、久しぶりに面白い物が見れて良かったわ。それじゃ、そろそろ帰るわね」
「え、お姉さま……」
「こう見えても受験生なのよ。少しは勉強しないと。それじゃあね」
 テーブルの上においてあった鞄を手に取ると、江利子さまは「それと」と言って付け加えた。
「あんまり溜めこんじゃ、体に毒よ」
 そう言って、ビスケット扉を開けようとノブに手を掛けた時。
 令は、江利子の腕を掴んでいた。

 令の反応にすっかり機嫌をよくした江利子がビスケット扉を開けようとノブに手を掛けた時。突然、その腕を令に掴まれた。
「なによ、令」
 令は無言でその腕を引っ張った。掴まれた場所に痛みが走る。
「痛っ、ちょっと、放しなさいよ」
 剣道部で、物を握る、ということに慣れた令の握力は想像以上だった。それだけで骨が折れるかと思えるような痛み。
「放しなさい、って言ってるのが聞こえないの!?」
 万力のような令の手から逃れようと、必死で自分の腕を引っ張る江利子。
 と、急に令がその手を放した。江利子はバランスを崩して、床に倒れ込む。
「きゃっ! ……いったい、何のつもり?」
「お姉さまがいけないんですよ」
 普段の令からは想像もつかない、ぞっとするような低い声だった。令のその姿でそんな声を出されると、まるで本当に男の子のようで──。
 令が一歩、江利子の方に足を進めた。江利子は床に尻餅をついたままあとずさる。そんな江利子を嘲笑うかのように、令がゆっくりと近づく。さらに後ろに下がる江利子。だが、江利子の背中はすぐに壁にぶつかってしまった。
 江利子は無意識のうちに、胸を隠すかのように前で腕を組む。令はその腕を強引につかんで引き剥がした。つかんだ両の腕を持ち上げ、頭の上で交差させる。交差した手首を縛るかのように、片手で壁に押さえつける。それだけで、江利子は身動きが取れなかった。
「令……な、何をしているか分かってるの?」
 震えそうになる歯を抑えて、なんとか言葉を絞り出す。令が本気を出せば相手になるはずは無いことは分かっている。それでも江利子は目をそらさず令を睨み付けた。恐い。けど、目をそらしたら負けだ。
「分かってますよ……。お姉さまこそ、私の気持ちを分かってるんですか?」
「え?」
 令はもう片方の手で江利子の顎を下から押さえつけた。頭が壁に当たり、鈍い痛みが走る。
「ぐっ!」
「暴れないでください。暴れると……本当に痛くしますよ」
 低い声。淀んだ瞳。どちらも江利子が見たことの無い令だった。口調こそ丁寧なままだが、殺気とも呼べるような雰囲気が漂っている。
「いつもいつも、私の心を弄ぶお姉さま。それは嫌いではありませんでしたけど……。もう、我慢できないんです」
 令の顔が近づく。まるで美少年のような凛々しい顔だち。もう見慣れたと思ってたけど、まだ知らない表情があったとは。恐怖を感じる心とは別に、ドキドキしている自分がいることを江利子は感じていた。私ってばマゾッ気があったのかしら……。ぼんやりとそんなことを思う。
 そうしているうちに、令の顔がすぐ近くに迫っていた。あと少しで触れようかというところで、令は江利子の目の前で小さく息をついて
「目を、閉じてください」
と言った。
 その声は、さっきまでの低い、暗い声とは違った、とても優しい声で。
 だから、江利子は言われるままに目を閉じた。
 恐怖はもう無い。ただドキドキだけが止まらなかった。私はこうなることを期待していたのだろうか。だからあんなことを?
 もう分からない。今はただ、令に身を任せていたい。
 そして。
 令の柔らかな唇が触れた。

 おでこに。

「へっ?」
 江利子が目を開けると、そこにはいつもの優しい瞳をたたえた令がいた。
 いつのまにか顎を抑えていた手は外れている。
 令が両手をいましめていた手を放すと、江利子の腕は重力に引かれるまま床の上に落ちる。だが、江利子はそれに気づいた様子はなく、ただ放心していた。
「大丈夫ですか、お姉さま」
 令が笑顔のままささやく。ようやく江利子の目に正気が戻ってきた。
 つまり、これは……。
「ふっ。ふふふっ」
「お姉さま?」
「あーっっはっはははははははっ!! 令!! あなたってば……」
 突然、江利子が本日二度目の大爆笑を、薔薇の館に響かせた。
 やられた。
「やっぱり、あなたを妹にしたのは正解だったわ。うん、間違いない」
 妹に一杯食わされたわけだけど、なぜだかとても気持ちが良かった。
「伊達にお姉さまの妹、やってませんから」
 苦笑いをする令。
 江利子は疲れるまで笑いつづけると、ようやく息をついて令を見つめた。
 他の人にはどう映ってるか知らないけど。私にとっては最高の妹だ。
 でもね。
 お姉さまに手を上げた罪は重いわよ。
「さてと、そろそろ行かなきゃ」
「あ、私もご一緒します」
「あら、来るの? 私、由乃ちゃんのところに行こうと思ってたんだけど」
「由乃? なんでまた」
「そりゃあ、『令にキスされた』って自慢しにね〜」
「お、お姉さま!!!」
 令が硬直したその隙に、江利子は扉を開け、勢いよく階段を駆け降りた。
「私だって、伊達に令のお姉さま、やってないのよ」

- fin -

あとがき


 感想などありましたら、 掲示板 か メールでお願いします。
 また、下記のフォームでも送れます。
 お名前:
 E-Mail: ※必須ではありませんが、書いていただければ必ずお返事します。
 URL: ※Webサイトをお持ちでしたら教えてください。
 気に入った点があれば教えてください: 登場人物 ストーリー 文体 セリフ 設定 その他
 コメントがあればお書きください。厳しいご意見も大歓迎です。
  
 コメントをWebで公開したくない場合はチェックしてください

文月の本棚: ガンパレ シュガー 灰羽連盟 マリみて アカイイト・アオイシロ アイドルマスター その他 オリジナル
表紙 PC 小説 不定記 伝言板 Gift リンク about